最近問題となっているのが、指導要領に聖徳太子や鎖国をどのように表記するかという問題があります。聖徳太子と書くか厩戸王と表記するかで、小中の教科書の表記が違うことが問題とのことでした。なんともそんなに大事なことなのかどうかちょっと考えてしまいそうな内容です。
そもそも学校の教科書の影響ってそんなにあるのか疑問が残ります。厩戸王と表記すると、それと聖徳太子は違うものだと考えたり、歴史認識に大きな影響を及ぼすのかと考えると首をかしげてしまうのは私だけでしょうか?それによってその人の人生から聖徳太子が出現しないとかあるのでしょうか。
私としてはもっと大事なことに議論の時間を割いてほしいと思うのですが・・・最近は聖徳太子自体の存在が危うくなっているなかでのこの議論は本当に意味があるのでしょうか・・・
歴史は変化することが多いですし、ここの言葉や人物がどうこうというよりは、流れを大事にしたほうがよいと思っています。
なぜそのような事件や状況に変化したのか、その原因と目的、その結果について全体像をつかむように勉強しないと、歴史はわからずただの暗記となってしまうことでしょう。
まあその流れにも、教える側の客観性が問われますので、難しいところもあるかもしれませんが、歴史は流れを大事にしてもらいたいものです。