教育業界は、まだまだ旧態依然の部分が多いです。そこが良いところだという人もいますが、時代に合わせて柔軟に変化させることが必要ではないでしょうか。
2020年問題に関しては、英語に関してはかなり変化が求められるのは確かですが、それ以外の教科はなかなかわかりにくいところがあります。そのため、結局、以前と同じようにするだけで十分というところが出てくるわけです。
さらに注意したいのは、この「以前と同じ」というところに問題があったとしても、ずっとそのままというところがあります。特に学校の対応に困るところで上げられるのが、学校のカリキュラムの必然性です。
本当にそのカリキュラムで、大学受験対策につながっていくのだろうか、きちんと結果につながっていくのだろうかと疑問になるところが多い部分があります。
公立の中高ではある程度シラバスに制限があるので、良いとしても、私立のカリキュラムは、かなり個人依りになっていたりして、そのところを誰かが気が付いて指摘しようにも、そこをベテランの先生であれば、なかなかアドバイスしにくいところとなるでしょう。時に、それが本校の特色だといわれてしまうとさらに困ったことになるわけです。
そのような授業が行われているかどうかの簡単なチェック方法は、配布された教科書を使っているかどうかというところでわかります。
どこに自信があるのかわかりませんが、そのような学校の先生は、自作のプリントで授業を行い、それを授業中に作業させることを目的としています。まだその内容が、その教科の基礎的なところであればよいのですが、中には、本当にただ穴埋めで、時事問題を扱う社会の先生などが登場してきたりします。
社会としては、時事問題に対する意見を自分で考えるようにするので、確かに必要といえば必要ですが、そもそも基礎学力がない中でそれを教えることに意味があるのかどうか。さらには、板書をして繋がりを教えてくれるのであればいいのですが、単に穴埋めで重要語句や重要人物・年代を暗記するといったものでは、それこそ丸暗記の何も広がらない知識を教えているに過ぎないといえるわけです。
より社会を具体的に感がると、例えば、アジアを勉強する際に、韓国の大統領などを覚えていくわけで、そのうち板門店宣言などがあつかわれるのでしょう。そもそもなぜ朝鮮半島が問題になっているのかもわからないまま、それを暗記するわけですから、知識もなにもあったものじゃない気がします。
今、私立に行かれている生徒をもつ親御さんは、是非、子供たちの授業内容に興味をもって確認してもらえたらと思います。あるいみ“カリスマ”教師は必要ないのではないでしょうか・・・