なぜ勉強しなくてはならないのか・・・後編

 さてなぜ勉強をする必要があるのか後編です。

 前回、芭蕉の句のニュアンスの違いをお伝えしましたが、そこにその時おかれていた芭蕉の状況を重ねていきましょう。

 前述の句は、最後から2つ目の句と紹介したとおり、この句を詠んでから、芭蕉は間もなく亡くなります。この時も、すでに病床にふけっており、句会に句を提出してほしいといわれていたのですが、出席できないので、弟子に持たせて発表した句です。そうなると、この句の背景にどのような芭蕉の心がうかがえるでしょうか。

 このように静かに横になっていると、隣の家の音がやけに大きく聞こえて忙しそうですねぇ。そうか~もう秋も深まり、冬支度に忙しいのかなぁ。正月に向けての準備もあるのかなぁ・・・みんな忙しくしている中で、自分はこのように何もできずに横になっているだけ・・・自分がいなくても、時は流れていくのですね~。

 といった感じでしょうか。自分の死期を感じていたかどうかはわかりませんが、自分が周りから取り残されているように感じていたことでしょう。なんかとても切ない芭蕉の気持ちを感じ取れるでしょうか。

 このようにたった一文字に含められた芭蕉の心を理解することができます。それも古文の活用を知っていたからにほかなりません。数百年前に感じた状況を、現代の私たちが共感できるのはとてもすばらしいことではないでしょうか?

 確かに、これらのことを知らなくても生活には困らないでしょう。実質小学生で学ぶ内容くらいあれば、生活していくことはできるでしょう。

 ただこのように、知識をもっていると人生をより豊かに、楽しく送ることができます。最初に質問してきた生徒も、芭蕉の世界を感じることができたようでした。少しでも勉強すればしただけ、それはよい影響力となります。それは、古文に限らず、ほかの教科の勉強もそうです。

 現在の受験制度では、入試まで時間制限があるので、知識を味わう時間もなく、『勉強』=『嫌なこと・大変なこと』となってしまっているので残念ですが、自分から楽しく進んで勉強できるようになれることを切に願っております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です