【24】 挨拶の大切さ・・・

 さて、先日は推薦入試・AO入試などの話をしましたが、その問題点はさておき、受ける側について考えておきたいと思います。

 特にこれらの入試では面接が中心となるわけですが、その際に重要となるのは第一印象でしょう。ポイントは、清潔感と話し方です。清潔感はある程度、制服を着ていくなどで差がでませんが、話し方は大きな差がでてきます。

 まさか、友達口調で話すことはさすがにないかもしれませんが、最初の挨拶が意外と大きなポイントといえるかもしれません。ノックをして、『失礼します』の一言でかなり印象がかわってくることでしょう。

 ところが、ここで問題なのが、挨拶です。そんなの常識、できない高校生なんていないと思われるかもしれませんが、普段からしている生徒と、その当日付け焼刃で行っている挨拶の違いが試験官にはわかるものです。

 挨拶一つから教育していかなくてはならない時代なのかと感じることもありますが、残念ながら、そのような現状があります。

 『しつけは家庭から・・・』

 そんな言葉はもう古いのかもしれません。できていない生徒のご家庭では挨拶をすることはないのでしょうね・・・

 拡大解釈になってしまうかもしれませんが、挨拶をしないことから、会話がすくなくなり、子供たちのコミュニケーション能力が低下する・・・かなり極論かもしれませんが、そんなことを感じることがあります。

 今後アクティブラーニングを推進するにあたっては、グループやチーム研究・討議が必要になります。いやがおうにもコミュニケーションができなければ、何も成立しません。・・・って実社会もそうですよね。

 内申点の数値や入試の解答用紙からは読み取ることができない重要な要素である『コミュニケーション能力』や『人柄』。これらは、ある意味、教科の知識やテクニックよりもより重要な要素なのではないでしょうか・・・

 そう考えてきて、親のみなさんは、お子さんとあいさつやコミュニケーションができていますか?それは、メールやLineの電子文字ではなくて、肉声できちんとできているでしょうか

 そんなことが学力に関係するのかと思われる方もおられるかもしれませんが、『教える』と『学ぶ』の関係は、とりもなおさず、コミュニケーションが一番大事です。わからないことを、質問したり聞いたりすることができるかどうかも同じ要素です。

 ’試験の点数は取れるけど相手の気持ちのわからない人間’

にだけはなってほしくないと思います。

【23】 冬の時期の『アリとキリギリス』

 この一連の記事の最初のほうでもお話ししましたが、推薦入試に合格することが本人にとってプラスになるとは限りません。むしろ気を抜くとマイナスになることになることを忘れないでほしいと思います。

 推薦で合格した方にとっては、喜びもひとしおのことと思います。自分は選ばれた存在で、大学入試まであくせくして受験勉強などしなくてもよくなり、のこりの学生生活を謳歌しようと思っておられるかもしれません。

 確かに、そう考えるのも間違いではないのですが、その先には何があるのでしょうか

 大学入学後は、一般入試の生徒と一緒に授業を受けることになります。一般入試で入学の生徒は、あと数か月を、寝る間を惜しんで勉強してきた人たちです。果たして、同じスタートラインに立てているでしょうか

 そこには大きな差が生じてしまっていることでしょう。まさに「アリとキリギリス」状態です。季節は冬ですが、まさに『冬を謳歌するキリギリス』。推薦合格の恩恵を十分満喫した結果、将来に大きな影を落としてしまうわけです。

 そうならないためにも、しっかり勉強しなくてはなりません。とはいえ、入試といったしっかりた目標がある「アリ」の立場の一般入試の生徒とはちがい、目標が達成されてしまっている「キリギリス」の立場の人にとっては、なかなかモチベーションがあがらないなかで勉強しなくてはならないので、なかなか難しいものとなります。推薦で合格しなかった方が勉強はしやすかったし、この数か月の学力のアップも期待できたことでしょう。ここでかなり自分に厳しくしていかないことを忘れてはなりません。

 もちろん推薦入学が問題とはいいませんが、合格から入学までの時期をどのように過ごすかは大事なことといえます。

 一方、一般入試を受ける予定の人たちは、上記のことを考えると、推薦で合格しているメンバーに嫉妬する必要は全くありません。むしろ、皆さんのほうが今後の伸びしろは大きいといえるでしょう。ですから、ひたすら受験勉強に打ち込んでほしいと思います。合格を勝ち得た後も、ここでの勉強は全く無駄などころかその後の学生生活にプラスになるとこでしょう。

 この数か月を大事にしていってほしいことはどちらの立場であってもいえることでしょう。

【22】 前人未到の分野に到達するためには・・・

最近もノーベル賞の受賞のニュースがありましたが、それら前人未到の分野に足を踏み込むためには、明らかに答えのある受験勉強をしてきたいわゆる『東大まで』の人には難しい話になるわけです。

 そこで、自分から積極的に問題を見つけて、それを解決する努力をする必要があるでしょう。それを学ぶことはとても大事なことになります。まあそれがアクティブラーニングの本質とも言えるでしょう。

 とはいえ、最初から何もないところで問題点を見つけて解決するのも難しいことでしょう。つまりは基礎知識は必要になるわけです

 たとえば、今回のニュートリノの研究においても、それまでのニュートリノ研究の功績は理解しておく必要があります。まずは、どのようにそこまで研究が進んできているのか、どこで行き詰っているのかといったところの基礎知識は必要かと思います。その点で、マニュアルはある程度は必要となります。つまりは、まずは前人の功績を理解して、『物まね』といった同じ思考を行ていく必要があるでしょう。

 もちろん、全くの違った方向からのアプローチで、それらの基礎知識がないなかでの発想というのも否定できませんが、なかなかそれは難しい分野であることは確かです。

 ですから、まずはその研究分野の基礎知識はマスターしたうえで、前人未到の分野にチャレンジすることが必要でしょう。つまりは、まずはテキストをしっかり理解して、それからその先の応用問題といった感じで進めることは絶対に不可欠といえるのではないでしょうか。

やっぱり自習室!

最近問題となっているのが、図書館での自習を禁止するかどうかです。

たしかに自習環境としては申し分ないと思いますが、純粋に図書館で本を読みたい方にとっては、座るところがなくなるため迷惑行為となってしまうのかもしれません。この時期は特にそうでしょう。

やはり自習室は必要だということですね。HASHIKENでは、自習室を完備しています。ですので、どうぞ集中して勉強する環境をご利用ください。

通常 12:00~21:30 が利用可能時間です。特別講習中は時間が変わりますのでご注意ください。

(2) 東大合格への道①

まず初めにS君についてお伝えしていきたいと思います。

彼の合格体験記は

http://www.juku-hashiken.com/results/index.html

に出ていますのでご覧になってみてください。

彼がまず問題となっていた点は、平素の勉強の習慣などです。もちろん習慣づけはできていたのですが、高校2年のころ部活等がいそがしくなり、勉強や塾もおろそかになりがちでした

そこで、HASHIKENでは年に2回塾長とのカウンセリングをおこなっているので、現状をお伝えするとともに、問題点を指摘しました。

その状況は親御さんのほうでは認識していなかったようで、3年の最初からしっかりしきりなおして勉強に身を入れるようにしていきました。そこから順調に成績は伸びていきました。

しかし、理系とはいえなかなか数学では点数が取れていませんでした。その一方で英語ではアドバンテージがありました。

そこで、センターから二次試験までの一か月間の勉強を再度スケールジュールを組み直し、全体平均6割を取れるように調節していきました。

その結果、英語が9割近くとることができました。一方数学は、全6問ですが、完全解答はありませんでしたが、部分点をねらっていったj結果、合格に到達しました。

このように最後の一か月の仕切り直しも重要な要素といえるでしょう。

(1) 合格体験記+αとは

このカテゴリーでは、最近の合格体験記合格体験記をかいてくれた生徒についての裏話をお伝えしたいと思います。

どのような経緯でこのような成績までのびて、合格をGETできたのかをお伝えしていきたいと思います。ぜひ、HASHIKENでの合格の道筋をイメージできたらと思います。

【21】 テキストよりプリント?

 最近の高校の理科の授業ですが、どの科目をとってみても、ほとんどはプリントで行っていて、テキストを使うことは少ないようですプリントとテキスト・・・果たしてどちらが学びやすいと思いますか?

 2つの違いはどこにあるのでしょう。

 一つは、きちんと冊子になっているものと、自分でファイルをしていく必要があること。これは学ぶ側にも大きな違いを産みます。まずは、ファイルしていく過程で、管理のできていない生徒は、ファイルをぐちゃぐちゃにして鞄の奥底にためたり、いくつかをなくしてしまったりすることでしょう。

 それは、クリアされているとして、そのプリントを使って入試問題や実力試験を解くにあたっては、果たしてそこにきちんと内容が載っているでしょうか?なんといっても全体像がつかみにくいのが、プリントの大きな問題点です。どこを勉強していて、それまで勉強していることとのつながりがあるのかないのか・・・

 さらに問題なのは、ほんとうにそのプリントが、役に立つ内容のものなのかというところがあります。ある高校の先生は、自分の興味のある部分に特化して、プリントを作り、定期試験もその部分から出すとか・・・なんとも斬新というか、自由というかといったところです。

 つまりは、プリントには限界があり、散逸することが多いということです。プリントはあくまで補強資料であって、テキストをメインに使うべきではないかと思います。そうすることが生徒にとっても安心できるし、わかりやすいものとなります。

 ではなぜ、プリントが多いのか?

 カリキュラムの時間が短くて全体を把握できないから、メインのところだけ教えたいとということもあるでしょう。たしかにそういう面もありますが、一番の理由は、そのほうが講師側にとっては楽だからです

 教える内容を自分で決める・・・わからないとこや自信のないところ、新しく加わったことなどは、避ける。そうすることで、教える内容は毎年同じものを同じように教えればいい。そこに出てくる問題や質問も毎年の授業がデータベースになっていくので、そのプリントに対する理解度が深まる。その結果、最終的には、そのプリントをあつめて冊子本にする方もおられるようです。そういう点で、かなり保守的といえるでしょう。

 確かにそうですよね。講師側はほかにやることがあって忙しいのだから新しいことを学んでいる余裕がないということでしょう。ただ、生徒のことを考えるならば、もうちょっと講師側にも努力が必要かと思いますが・・・

 では教務としては、それを指摘して改善できないのか?と思われるでしょう。

 これまた難しいところのようです。たいていそこまでプリント体系ができている場合は、かなり教えるのに年数がたっていることでしょう。つまりはすでに大御所的存在になっているところもあり、なかなか頑固であったり、周りから問題点を指摘しにくい状況にあるようです。・・・そのための教務だと思うんですけどね~。

 それでは、高校生のお子さんを持つ親御さんであれば、可能であれば学校での理科のテキストやプリントを確認してみてください。もし、テキストがとてもきれいで、プリントがやたらと多い場合、このケースにあてはまるものかもしれません。

【20】 一度楽をしてしまうと・・・

以前は‘ゆとり教育’が中心で、カリキュラムの内容も、授業日数も減らして、ゆとりをもたせようとのことでした。

 しかし、それではまずいことがわかって、カリキュラムの内容を増やし、授業日数も増やしたいけど土曜日は休みにしたいというどこかのお偉いさんの都合によって、長期休暇が削減される結果となってきました。

 さてここで、カリキュラムを減らすのがまずかったので、元に戻して増やせばいい!というところですが、果たしてそれで元通りになるでしょうか。

 一度楽をしたら元に戻すのが大変ということは、おわかりになると思います。たとえば、運動でいえば、校庭を100周トレーニングしていたところ、それはやりすぎだから、校庭を50周にしなさいといわれて、変更して、10年くらいやっていたところ、いややっぱり100周走る必要があるといわれて、100周走りなさいといわれたとき、果たして、すぐに100周走ることができるでしょうか。100周を50周に対応した時間と、50周から100周に対応するための時間どちらも同じだと思いますか?

 一度楽を覚えてしまった現場に、再度ハードな方に方向修正するには、かなりの負担がかかることでしょうそこにきて、アクティブラーニング・・・とても対応などできない、今のままでいいじゃない?という意見が出てくるわけです。

 こうなってしまうのは現場の問題もありますが、それを指揮指導する側が、混乱させた来たという事も言えるでしょう。

 さてこの先、どのくらい生徒の気持ちがわかるカリキュラムや授業体系を確立することができるか、その道はかなりハードなものになることでしょう。なんとか生徒目線の授業を考えてほしいと切実に思います。

【19】 東大までの人・・・

 昨今の全世界の大学ランキングでは、あまり上位に日本の大学は入りません。それでも東大というブランド力は日本の中では大きいのではないでしょうか。そのギャップにあるのは、『東大までの人』の存在でしょう。

 社会人1年目の人や、大学院に進んだ人の1年目に問題を抱える人が多くいます。その問題とは、『何をやればいいんですか・・・』といった問題です。何をやればって・・・その仕事や研究がしたいからその道を選んだのではないかと考えるかと思いますが、そうでなくても、そこまで来てしまう生徒が多くいます。東大の卒業生の中にもそのような人がいて、そのような人を代表して『東大までの人』と呼ばせていただきたいと思います。

 なぜそのような状況になってしまうのか・・・

 そもそも何度もお伝えしている通り、入試問題や学校のカリキュラムは、答えがあって、それを探し出したり求めたりする問題です。いわば、犯人がわかっている推理小説みたいなものかもしれません。したがって、出題者と同じ経路や論理をトレースして同じ答えにたどりつけるかといったものといえるでしょう。

 そのような勉強をしてきて、答えのある問題を答えることにエキスパートになって、入試問題で高得点を取ってきているわけですから、社会にでたり、または大学院に入って、自分で問題を見つけて研究したり、問題にとりくんだりすることができないわけです。しかも、その課題には答えがほとんどなく、未知の領域・・・(まあ前人未到の内容を研究し成果を上げたからこそ、ノーベル賞をもらえたりするわけですが)

 その一方で、彼らがエキスパートなのは、指示されたことを、答えのあることを淡々と行ういわば事務処理などは得意といえるでしょう。

 したがって、就職で採用する企業側として、そんな事務処理を行うことに秀でた人材を採用したところで、あまり期待できないわけです。ですから、自分で問題を見つけて、解決する方法を模索する人材を輩出することができる教育体系をということで『アクティブラーニング』が必要となったわけです。

 しかし、これもなかなか一筋縄ではいきません。なぜなら、すでに『東大までの人』がたくさん存在しており、そのような変化をよしとしていないからです。

 そのような問題に取り組む姿勢を確立すべく、SSシステムが存在しております。

 

【18】 解答を人質にとった授業

 今回は高校の数学の授業の内容についてちょっとお伝えしたいと思います。

 数研出版の『オリジナル』という問題集をご存知でしょうか。この問題集は主に前年度の入試に出題された問題をあつめたもので、進学校の数学の傍用の問題集として使われることが多い問題集です。この問題集の特徴は解答が略解しかなくて、最終的な答えしか本体には出ていません。詳細解答に関しては、別冊で出版されています。

 問題は、この問題集の使い方です。多くの高校においては、問題集だけを渡して、定期テスト前にどこまでの範囲をレポート提出だとか、どこまでの範囲を定期テストの範囲に入れてくるようになっています。当然のことながら、現役生に入試レベルの問題は、すぐには解答できませんので、かなり苦労するわけです。そこで、授業で詳細解答を使って、解答解説をするというわけです。

 生徒はいわば受動的に、その解答を見て理解してノートに書き留めることでしょう。その瞬間「先生はすごい!」っていうところになるのでしょうか?もちろんすべてのテスト範囲の問題を解答解説できないので、あとは自分で解いてこいということになるでしょう。ところが、入試問題の塊ですから、当然自力でできるはずがありません。そこで補習をしてあげましょうという事になるわけです。そうすると、またそこで「先生はなんて親切ですごいんだ」ってことになりますか・・・

  一見するとあたかも効率のよい授業のように見えますが、果たして本当にそうでしょうか?ほんとうにその先生ってすごいですか

 ではこうしたらどうでしょうか。詳細解答の冊子を生徒に渡すとしたらどうでしょうか。そうです。その瞬間にここまでの先生の存在意義がなくなります。入試問題に取り組もうという生徒たちですから、詳細解答を読んで理解することができるでしょう。

 そんなことをしたら先生のやることが無くなる!って怒られてしまいますかね。そもそも生徒が自分で読んで理解できる内容なら、わざわざ先生が教えてあげる必要はないのではないでしょうか・・・

 では、先生は何をするのかって聞かれるでしょうか?

 そこが先生の腕の見せ所です。模範解答は生徒が自分で理解できるのだから、それ以上の解答を模索し、提示する必要があるのではないでしょうか。もちろん別解がなかったとしても、模範解答のポイントを解説して、要点の汎用性を上げることも重要かと思います。

 また逆に、先生も詳細解答なしで解答解説に臨んでみるのはいかがでしょうか・・・「そんなことしたら正解にたどり着く自信がない」「先生としての立場が危うくなる」とか言われますか・・・実際に先生は万能である必要は果たしてあるでしょうか?生徒が到底思いつかないような模範解答を、鼻高々と解答解説するよりも、生徒と一緒になって、悩んで苦労して答えに到達することのほうがはるかに生徒との距離を近づけるのではないでしょうか・・・

 うちの塾長曰く

 「解答を人質にした授業など、生徒のための授業じゃない」

 そのような授業が実際に展開せれております。ほんとうの数学の授業はそうではないと思うのです。たしかに、社会にでれば、答えのない問題ばかりと向き合わなくてはなりません。そんな苦闘を繰り広げていくためにも、生徒とともに悩み考えていくってことも大事なのではないでしょうか・・・