【3】 先取り学習の弊害『一夜漬け知識』

 前回中高一貫校のカリキュラムの問題点をお伝えしましたが、それに付随する問題として先取り教育の弊害についてお話します。

 先取り学習の目的は、公立では中高6年間でやることを5年で学習して、最終学年は復習や総合問題を中心に大学受験対策をするというのが目的です。

 確かに、数学Ⅲの内容や理科の内容をみても、最終学年1年で終わるかどうか難しいほどの内容が含まれていて、それに加えて受験対策はさらに難しいといったところが通常カリキュラムです。

 ですから、最後の一年に余裕があるのはかなりのアドバンテージです。

 そのカリキュラムについていけるかどうかが問題になるという話を前回したわけですが、ついていけている生徒にも問題を抱える場合があります。それは、忘れるのが早いという問題です。

 なぜ、そのようになるのかと考えると、とにかく早く進めなくてはならないカリキュラムについていかなくてはなりません。ですので、暗記などが得意な生徒になると、答えを暗記したりして、その場をしのぐといった勉強になります。

 とはいえ、数学などの教科は、学んだあとにその知識の練習をして、いわば知識の熟成時間が必要になります。公式を学んでも、その使い方の練習をしなければ使い物になりません。

 ところが、先へ進めなければならないので、そんな時間はありません。ですから要領のよい生徒になると、とにかくその場をしのぐ勉強をするようになり、いわゆる『一夜漬け』のような知識で先へ進めていくわけです。

 この知識の問題点は、すぐに忘れてしまうということです。その結果、確かに学校の定期試験は、その場の知識なので点数が取れるのですが、実力試験になるとできないということになります。

 『急いで学んだものは、すぐに忘れてしまう』といった傾向が顕著に表れます。

 そのような場合、きちんと生徒の学習速度に合わせたカリキュラムが必要になります。何でもかんでも早ければいいというわけではありません。生徒の学力に合わせて進めていくと、その結果、先取りができるというのが本来の先取り学習ではないでしょうか。実際、それができる生徒も多くいます。

 それを可能にするのがSSシステムになるというわけです。

 次回は、数学の学習における一斉授業とSS授業の違いについてお伝えします。

【2】 私立中高一貫校の問題点

 今回は私立中高一貫校の問題の部分についてお伝えしたいと思います。

 一時期、私立中学入試が流行した時期がありました。まだ続いているといるといわれる方もおられるかもしれません。まず、ではなぜ私立中学を目指すのでしょうか?

 学習環境が整っているとか高校受験がないので大学入試を意識した6年カリキュラムなどがあげられることでしょう。特に後者のほうは、「高校受験のために塾に行かせる必要がないので経済的」 「一年前倒しして、先取り勉強するので、最終学年は一年間まるまる入試対策の勉強ができる。」 といったことが宣伝となっています。果たして実情はどうでしょう。

 残念ながら、上記の条件を満たし、実際に良い成績を維持できる生徒はほんの一握りといえるでしょう。某私立中高一貫校では、最終学年では、東大などの2次の入試問題中心に練習したり、テキストもほとんどが問題集で、演習中心の授業となっています。そこでどのような問題が生じてくるでしょうか。

 確かに、その授業についていける生徒は、かなり上位の大学を受験し合格できるでしょう。しかし、それができるのはほんの一握りです。そもそも、通常は6年かける所を5年で終わらせる内容なのですが、それが基礎だけでなく応用問題も含めて先取りしていきますから、基礎力がなかったり、勉強の習慣や勉強法が確立していない生徒にとっては、かなりの苦痛になります。

 かといって、学校側もそのようについてこれない生徒をほおっておくわけにはいかないので、夏休みなどの長期休暇中に補習をするということになります。

とはいえ、カリキュラムもついてこられる生徒がメインになっており、将来の学校の宣伝のためにも、これらの生徒を重視する傾向があり、すべてそこで取り戻せる時間はありません。

 したがって授業についていけない生徒は結局塾やほかの方法でさらに補習を自分でしていかなくてはならないわけです。ここで、先ほどの宣伝文句は完全に崩壊するわけです。

 もちろんすべての生徒がそうだとはいいません。そのカリキュラムについていける生徒もいるので、その生徒にとっては素晴らしいカリキュラムになることでしょう。

 ただ、先取りして勉強できるので安心とか、高校受験がないので安心だという理由だけで中高一貫校を選ぶと大きな落とし穴になりかねないことをお忘れなく。

 そこで、私たちの塾では、生徒中心の生徒のためのカリキュラムを個別に作成します。その結果、先取りできる生徒は先取りになりますし、そうでなくても、学校の授業をしっかり理解して先へ進めることができます。生徒中心なので、生徒を置いていくような授業ではありません。

 次回は、そのついていける生徒についても弊害があります。それをお伝えしたいと思います。

なぜ勉強しなくてはならないのか・・・後編

 さてなぜ勉強をする必要があるのか後編です。

 前回、芭蕉の句のニュアンスの違いをお伝えしましたが、そこにその時おかれていた芭蕉の状況を重ねていきましょう。

 前述の句は、最後から2つ目の句と紹介したとおり、この句を詠んでから、芭蕉は間もなく亡くなります。この時も、すでに病床にふけっており、句会に句を提出してほしいといわれていたのですが、出席できないので、弟子に持たせて発表した句です。そうなると、この句の背景にどのような芭蕉の心がうかがえるでしょうか。

 このように静かに横になっていると、隣の家の音がやけに大きく聞こえて忙しそうですねぇ。そうか~もう秋も深まり、冬支度に忙しいのかなぁ。正月に向けての準備もあるのかなぁ・・・みんな忙しくしている中で、自分はこのように何もできずに横になっているだけ・・・自分がいなくても、時は流れていくのですね~。

 といった感じでしょうか。自分の死期を感じていたかどうかはわかりませんが、自分が周りから取り残されているように感じていたことでしょう。なんかとても切ない芭蕉の気持ちを感じ取れるでしょうか。

 このようにたった一文字に含められた芭蕉の心を理解することができます。それも古文の活用を知っていたからにほかなりません。数百年前に感じた状況を、現代の私たちが共感できるのはとてもすばらしいことではないでしょうか?

 確かに、これらのことを知らなくても生活には困らないでしょう。実質小学生で学ぶ内容くらいあれば、生活していくことはできるでしょう。

 ただこのように、知識をもっていると人生をより豊かに、楽しく送ることができます。最初に質問してきた生徒も、芭蕉の世界を感じることができたようでした。少しでも勉強すればしただけ、それはよい影響力となります。それは、古文に限らず、ほかの教科の勉強もそうです。

 現在の受験制度では、入試まで時間制限があるので、知識を味わう時間もなく、『勉強』=『嫌なこと・大変なこと』となってしまっているので残念ですが、自分から楽しく進んで勉強できるようになれることを切に願っております。

なぜ勉強しなくてはならないのか・・・前編

 先日ある生徒から「なぜ古文を勉強しなくてはならないのか?将来使いますか?」という質問がありました。確かに将来はあまり使うことはないでしょうし、知らなくても生活をしていくことに支障はほとんどありませんね。ではなぜ勉強する必要があるのでしょうか?

 そんなときふと以前から疑問に思っていた事柄を調べてみました。それは松尾芭蕉の亡くなる2つ前に作られた俳句です。

 「 秋深き となりは何を する人ぞ」

 この最初の言葉をずっと「秋深し」だと認識していました。しかし「秋深き」が正しいことがわかりました。そんなとき、なぜ「」ではなくて「」なのだと疑問に思っていたわけです。

 そこで思いつくのが、古文単語の語尾活用です。「」は終止形、「」は連体形です。

 

 未然形  / 連用形 / 終止形 / 連体形  / 已然形  / 命令形

 く・から    く・かり         ・かる    けれ     かれ

 この活用を覚えておられるでしょうか?この活用なんですね。

 そうなると、どのように意味合いがちがってくるでしょうか?

 『』の終止形のほうだと・・・

   秋が深まってまいりました。みんな忙しい時期ですね~。

 ニュースのアナウンサーが原稿を読むかのように、日々一般のニュースを伝える状況で、つまりは客観的なニュアンスが強くなります。

 

 それに対して、連体形のほうだと、次に何か名詞や体言、つまりは何かがあるんだけど省略されているニュアンスになります。したがって、

 『』の連体形のほうだと・・・

   秋深まってきた今日この頃。となりの人は忙しそうに何をしているのかなぁ。

 といったニュアンスになります。何が大きく違うかというと、その情景の中に自分が、つまりは芭蕉自身が入っている主観的詠まれている俳句になります。

 そうなんですね。周りの日々一般の内容を伝えようとしているのではなくて、自分の今おかれている状況を伝えようとした俳句なのです。

 たった一文字の違いですが、そこから広がる風景は大きく異なってきます。

 さらに、そこには芭蕉の心が反映されているのですが、それは後半にしましょう。

【1】 SSシステムの必要性

 今日からHASHIKENの授業の内容とその目的や必要性についてお伝えしていきたいと思います。

 そもそもSSスタイルが確立していった背景にはどのようなものがあったのでしょうか。それは、受験方式の多様性、生徒の学力のばらつき、学校進度のばらつきなどを考えると、従来の先生が黒板の前で解答解説していく方式では、対応できない状況です。

 にも関わらず、そのスタイルで授業を行っている学校などの授業には、あきらかにがあることがわかります。特に私立の進学校などでは、そのスタイルを崩さないために、なるべく同じ学力の生徒に教えられるように、毎月学力試験を行い、生徒をレベル別に分けて教えるといったところもあります。とはいえ、それでも必ずしも生徒の学力にあった授業とはならないことでしょう。

 そうであれば、逆に生徒主体で生徒のレベルにあった授業を展開したいと考えました。つまりは、生徒一人一人に対応した個別型の授業スタイルです。

 とはいえ、そこにまた問題が生じてきます。すべての生徒を個別で教えることは可能なのか?さらに授業料もかなり高額になってしまうのではなかろうか?ということです。

 その問題を解決したのが、SSシステムです。

 ただここで勘違いしてほしくないのは、よくある個別指導と混同してほしくありません。

 よくある個別指導のスタイルとして、一つは、学校の補習型になっているものがあります。学校の勉強のフォローをしていくことをメインとして、とりあえず生徒のわからないところを答えていく・・・たしかにそれも必要なところかもしれません。

 また別の個別指導のスタイルは、本来一斉授業でやるべきところ、少子化などの影響で、生徒が集まらないので個別指導だとうたっている場合もあります。カリキュラムもテキストも一斉授業のものにも関わらず「生徒に‘より時間をかけて’めんどうをみてあげられます」といったものは、いかがなものでしょう。

 そのような個別指導とは一線を画したものとなっています。次回は、よりその個別指導との違いをお伝えしていきたいと思います。